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千葉県印西市に住む主婦が、何とか市内でも自給エネルギーを持てないかなと考えて学ぶブログ。情報集積、学習日記です。
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わたしの実父である”旅人”が執筆しましたエッセイのご紹介です。
シリーズを、ひとつのカテゴリにまとめて納めます。



1.「百姓」とは

百姓とは、そもそも庶民のことを指す言葉だったとのこと、つまり、百もの姓をもつ人間集団という意味だったのだそうです。いつ頃から使われ始めたか、よくは知らないのですが、もしかすると、かなり古くて、平安時代にさかのぼるかもしれません。いずれにせよ、百姓という言葉で農民を指すようになったのは、かなり最近だったようで、明治時代になってからのようです。江戸時代までは、百姓=農民、ではなかったのです。百姓といっても、農業に止まらず、商業や工業にも、ときには、貿易商、金融業までもやっていました。いわゆる豪農といわれる家などでは、それらを一手に引き受けた形になるケースが多々あったようです。

私は、このイメージにとても引かれるのです。江戸時代は、安定した社会が長く続いたといわれますが、それは、徳川の御代が265年間も続いたということに代表される支配の安定のことでして、巷では経済の変化発展が進んでいて、地方でも商工農業の姿がどんどん変わっていたようです。その地方の代表的百姓が、農業だけでなく商業工業をもになう事業主であり、そのなかから、都市に出て後の資本家になって行く者も現れたのでした。NHK大河ドラマ「龍馬伝」での岩崎弥太郎も、農民→下士を経て資本家になった百姓でした。

資本家になる段階は、あまり興味ないのですが、その前の田舎の産業振興の中心をなした百姓、それらに注目したいのです。

当時の百姓は、なかなか魅力的な日々を送っていたらしいのです。何よりも、生産と生活が、現代と比較すれば、貧しいといわれる状態だったかもしれませんが、一体的に進んでいて、かつ多様であった、とみえるのです。農民であっても、家を建てる術を身につけているし、生活用具は自分で作っていたし、一部の高度な施設や技術を要するもの以外、自賄いだったのです。そのためには、経験または訓練も要ります、ということは、同時に時間が要ります。逆にいえば、暇がないとそんなことできません。当時の生産力が、そうしたことに見合っていたのです。その中から、考えて見て下さい、己の能力がどこにあり、産業・・・それは、当時、かなり発達を始めていました・・・のどこで自分の力を発揮できるかが自ずと見えてきたはずです。そんな風に、村や町が、地域の特長を生かした産業を有して成り立っていたと考えられます。こんな姿に、人間の本質的特性を、少なくとも現代に比べ数倍も見てとることが出来ると考えられませんか。

これは、ヨーロッパなどでも同様らしく、経済書でその歴史を記述した中にみられたり、文学にも描かれたりしているのですが、人間のなすことは、洋の東西を問わず共通するところが多いということです。

 

 
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