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千葉県印西市に住む主婦が、何とか市内でも自給エネルギーを持てないかなと考えて学ぶブログ。情報集積、学習日記です。
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<<1.「百姓」とは

2.「百姓」は農民か

先ず日本の百姓を大雑把に見直します。

歴史の見直し、ということが時々行われます。私にとって、この手の見直しをさせられたことを時々経験してきましたが、百姓を歴史の中で見直すことになったのは、歴史学者の網野善彦さんの学説によってでした。

彼は、問いかけます:
「日本」とは何か
「日本」は島国か
「百姓」は農民か
等々です。

ここでは、最後の問いを見ておきます。
先日、掲示板「樹下談叢」で、中国では、百姓というのは普通の人を指すということが紹介されましたが、韓国でもそうなのだそうです。日本にだけ、「百姓」=農民、という常識が出来てしまっているのです。

この常識、思いこみを捨てて百姓の実態を見てみると、ちがった特長が見えてくると網野さんは言います。

まず、企業家としての百姓が見えてくるのです。有名な例が、奥能登の時国家です。時国家の古文書を調べると、江戸時代初期、建坪240坪の家を構え、200~300人の下人を使っていました。農地を30町歩持っていました。ここまでですと、地方の豪農というイメージです。

しかし、調べが進むと、同時に、大きな持ち船で松前までも通っていたことも分かってきたのだそうです。ある時には、松前昆布を満載し敦賀でそれを売ろうとしたのが、良い値がつかないので、陸路で大津にゆき、そこでも良い値がつかず、結局、京都、大阪まで行ってようやく全て売り尽くして帰ってきた、という記録がありました。そうした船を2,3艘持っていました。つまり回船業を手広くやっていた姿が浮かび上がるというのです。塩、薪炭なども扱ったようです。江戸末期には、北前船で、サハリンと蝦夷、大阪などを繋いで商売を拡げました。さらには、鉛を産する鉱山経営もやっていたのでした。金融もしてました。

つまり、奥能登の時国家は、豪農ではなく、多角経営の企業家だったのです。



 
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