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千葉県印西市に住む主婦が、何とか市内でも自給エネルギーを持てないかなと考えて学ぶブログ。情報集積、学習日記です。
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<<2.「百姓」は農民か

3.水呑百姓

網野さんの説をもう少し紹介させて頂きます。

従来は豪農と考えられていた奥能登の時国家が、農業だけでなく多角的に企業経営をしていたのですが、その当時、時国家に100両の金を貸すほどの柴草屋という回船商人が、実は「貧農」つまり「水呑百姓」だったというのです。この地方では、水呑百姓のことを「頭振(あたまふり)」と呼んでいたのだそうです。柴草屋は、その頭振だったのです。頭振の柴草屋は裕福な商人だったのです。私たちは、学校で習ったことから、水呑百姓といえば、土地を持たない貧しい農民と思い込んできたのですが、柴草屋は貧しくて土地を持てなかったのではなくて、商売で儲けていたので土地を持つ必要がなかったのです。

水呑百姓というのはすべからく貧農、というイメージは、払拭してかからなければなりません。私のご先祖は水呑百姓だったと聞かされてきました。しかし、改めて古文書なりと確かめてみなければなりません。確かに、私の村は、農地が少なく、それだけで生計を立てていたとすればとても貧しかったはずで、信じられないほどに土地の少ない村なのです。製塩を含む農漁業の他にも製糸業なども盛んにしていたと聞かされていますから、何か工業に携わっていた家も多かった可能性があります。いずれにせよ、水呑百姓=貧農、と思い込むのはものごとを見間違う原因となりかねません。

網野さんは、別の調査結果を紹介しています。ある地域の村を調べた結果、頭振つまり水呑百姓が71%いて、残り29%の百姓の平均持ち高が4石余、つまり4反歩ぐらいの土地しか持っていないということが分かりました。つまり、上記私のご先祖の村同様に、大変に貧しい村のように見えるのです。

ところが、この地域というのは、奥能登最大の都市、輪島のことなのだそうです。つまり、頭振といわれた人たちの多くが、柴草屋と同様に、土地を持つ必要のない職人や商人、廻船人などだったのです。輪島は、その当時、公式に村と呼ばれていたのですが、「村」とされていても、実は「都市」だったのです。このように見てくると、村は農村とは限らない、というところも見えてくる、というわけです。

従来考えられてきた農村社会の姿も改めて見直す必要がありそうです。



 

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