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千葉県印西市に住む主婦が、何とか市内でも自給エネルギーを持てないかなと考えて学ぶブログ。情報集積、学習日記です。
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<<6.九公一民

7.百姓と労働者

ここまで、歴史上、百姓が村の中でどんな仕事をしていたかをごく大雑把にみてきました。大雑把ではあっても、多分、江戸時代の百姓と村の大事なところは見ることができたと思います。

それらを網野学説によってみてきたのですが、具体的な様子は、時代小説でもしばしば描かれます。たとえば、藤沢周平「漆の実のみのる国」などでは、上杉鷹山治下の米沢藩の状況をかなり具体的に見せてくれます。ドキュメンタリーでは渡辺京二「逝きし世の面影」が、外国人の目から見た江戸時代の百姓のありさまを紹介してくれます。

職業はいろいろだったのですが、百姓は、生活を豊かにする術を心得ていて、いろいろな技術を駆使して多様な生活を営んでいました。家を作るには、要所で専門家の世話になったとしても、茅葺屋根の葺きかえは村中総出でやるし、普段のメンテは皆、自分でやりました。男は誰も大工っ気と○気は必ずあったのです。生活用具も自賄いがけっこうありました。草鞋、縄、籠、灯り、おもちゃなど、皆、自分で作ってました。自家用の野菜や果物など、農人でなくとも作る家が多かったようです。

それらをみて、私がもっとも強く思うことのひとつは、いわば、時間がゆったり流れていたことです。上でにみたように、村においても分業はかなり進んでいましたが、それぞれが己の持ち場で己の仕事をきちんとしつつも、ゆったりとした毎日を送っていたようです。夏場には、昼寝をしたり夕涼みをする時間がけっこうあって、体力の回復を図っていたようです。共同体の中でも、祭りなどいろいろな行事を皆で取り組み、仕事以外のことで、年中、何だかんだと忙しかったようです。

これは、生産力に応じた物と時間の流れがあったということで説明できそうです。現代は、物と時間の流れ、すなわち生産力が、その当時に比べ何十倍も何百倍も大きくなっていて、それがつまるところ長時間過密労働となっているのです。ここで、大事だと思うのは、元々、百姓は、時間的に余裕があったということです。その時代に合った生産をするのに、現代ほど長時間働かなくても間に合っていたということです。これが、本来の百姓と、多くが百姓の成れの果てである現代の労働者との決定的違いなのです。







 
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