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千葉県印西市に住む主婦が、何とか市内でも自給エネルギーを持てないかなと考えて学ぶブログ。情報集積、学習日記です。
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<<4.下人

5.村は農村か

さて、先に、能登半島の輪島が「村」と呼ばれていたことを書きました。村は農村か、ということをもう少し詳しく、網野さんの説に沿って見てみます。

結論を書いてしまえば、村と呼ばれた地域の中に、農村でなく「町」のようなところがけっこうあった、ということです。江戸時代、幕府や大名が認めた町以外は、村とされ公式の行政単位とされました。このため、経済活動が盛んな地域では、町のような村がけっこうあったのです。

たとえば、周防の上関(かみのせき;先日まで、原発を作る/つくるな、で大揺れになっていました)です。ここは、正式に「村」とされていました。上関の内陸部は地方(じかた)、海辺は浦方に分かれていました。それぞれ統計によれば、百姓の内訳が次の通りでした:

     地方            浦方
農人   19        農人 12
商人   10        商人 54
廻船問屋  5        船手垰 4
鍛冶    1        船持 3
漁師    1        その他 15
百姓合計 36        百姓合計 88

地方でも、農人はほぼ半分を占めるに過ぎません。実態として、上関は農村というより町でした。

このような「村」が、瀬戸内にはたくさんあり、竹原、倉敷、下津井などもこうした「村」だったのです。江戸時代、全国を見れば、至る所にこうした「村」と呼ばれる町があったのです。

上関には、さらに水呑(上関では門男、もうと、とよばれました)がいて、下記のような職種からなっていました:

     地方             浦方
農人   98        商人 68
商人   20        船持 18
その他  17        その他 92
門男合計 135        門男合計 178

地方(じかた)も浦方も、百姓より水呑の方が数が多いです。門男は、本来、石高を持たない人々なのですが、この統計に示された農人が、どのような人々なのかはよく分かりません。その他と分類されている内には、多様な職種があって、船大工、左官、桶屋、石工、漁人、鍛冶、提灯張、張物小細工、紺屋、畳刺、茶屋、髪結などだそうです。

先の、百姓の内訳と合わせてみると、この「村」は、実態として町、都市だったといえます。こうした「村」が、瀬戸内だけでなく津々浦々に多数あったということです。





 
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